資格の勉強でもやるというスタンス


勉強するのが好きでもなく、文章を書いたり読んだりするのが得意でもないですが、やることがないとき、せっかく文章を読むなら、資格の勉強で文章読んだ方が!とか、せっかく計算問題やるなら、資格の勉強で計算問題やるほうが!と思うのはなぜなんでしょうか。合格すると、資格が1つ増えるからです。

新聞や本を読んでも、知識は増えますが、しばらくすると忘れます。資格の勉強も同じで、しばらくすると忘れます。同じように忘れるなら、読み書き、計算するのを、資格の勉強にあてたほうが見返りもあるのだから、いいじゃないかと考えるわけです。

話は、脱線しますが、読み書き、計算する習慣がない人のために、テレビがあって一方的に情報を得れますが、それだけではやはり、脳に対して情報不足で訓練不足になってしまうでしょう。

資格の話に戻しますが、今は特にそうですが、資格は、満点を取る必要性がないので、相当な時間がかかる難問を読まずして、パスすることが出来ます。

こういったことは資格に限ったことで、小説や新聞読んでも、そこのポイントが理解できなければ面白くないし、他のところを読んでも意味がない場合があるので最悪です。ということで、資格の勉強は、自分のスタンスでコツコツできます。難易度の高い資格は、相当な時間がかかる場合があると思いますが。

また、暇な時は、何かに取り組んでいることが大切です。

賢い人は、見たり聞いたりしただけで頭の中でその時の状況を思い出し、他の人との会話で発揮できる能力があるので、自分みたいな凡人は、すぐ忘れ、そういうコミュニケーションは出来ません。

人が言ってた単語くらいは覚えている時があり、「あの人、こんなこと言ってたよ。」程度の事は言える時がありますが。

ということで、賢い人は、人との交流が自然と増えていき、その中で学び、情報が増えていきます。

同じ事をまねてみたところでできませんから、厳しいです。お酒飲めない人が練習しても酒豪には勝てないのと同じです。

できる範囲内の努力をするのが良いです。そこで、資格の勉強は、文章を理解し計算力を高める練習。こう捉えます。

若いときほど時間を無駄にしてしまいがちで、年を取ればとるほど時間が大切に思えてくるものだと一般的に言われていますが、

余暇は、いわゆる自由な時間なわけですが、何をするか、選択肢が多いわけで、いかに可能性へ向けてチャレンジするか、希望を持って何かに励むか、貴重なものなので、それを伝えるためにこういう文章を書いているということになります。

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